今昔 能登ノ国ニハ鐵ノ(すがね)ト云ナル物ヲ取テ國ノ司ニ弁スル事ヲナンスナル 其□□ト云ケル守ノ任ニ 其ノ(すがね)取ル者六人有ケルカ 長也ケル者ノ己等カトチ物語シケル次ニ 佐渡ノ国コソ金ノ花栄タル所ハ有シカ ト云ケルヲ守 自ラ傳ヘ聞テ 彼長ヲ呼寄テ 物ナト取セテ問ケレハ 長ノ云ク 佐渡ノ國ニハ金ノ候フニヤ 金ノ候ナメリト見テ給ヘシ所ノ候シヲ 事ノ次テニ 己カトチ申シ候シヲ 聞食タルコソニ候ナレト 守 然ラハ其ノ然見エケム可行ニ取テ来ナントヤ 云ヘハ長 遣サハ罷ナント云 守 何物カ可入ト問ヘハ 長 人ヲハ給ハリ候ハシ 只 小舩一ツ粮少トヲ給ハリテ 罷渡テ若ヤト試候ハント云ヘハ 只彼カ云ニ随テ 人ニモ不知セメ舩一ト可食物少シトヲ取セツ 長其ヲ得テ 佐渡ノ國ニ渡ニケリ 其ノ後廿日余リ 一月許リ有テ 守 打忘レタル程ニ 彼長 急ト出来テ守ノ現ハニ居タル所ニ見エタリケレハ 守 心得テ人傳ニハ不聞メ離タル所ニ 自ラ出会タリケレハ長 黒ハミタル□□ニ裹タル物ヲ守ノ袖ノ上ニ打置タレハ 守 重気ニ提テ入ニケリ 其後 此長 何チトモ旡テ俄ニ失ニケリ 守 人ヲ分テ東西ニ尋サセケレトモ遂ニ行方ヲ不知ラ止ニケリ 何カニ思テ失タリト云事ヲ不知 彼金ノ有所尋子問ヤ為ルト思ケルニヤトソ 疑ヒケル 其金千両有ケリトソ語リ傳ヘタル 然レハ 佐渡ノ國ニ金ハ掘ヘシト能登国ノ人 云ケル也 其長ノ後ニモ必ス掘ケンカシ遂ニ不聞エテ止ニケリトナム語リ傳ヘタルトヤ
能登国には、鉄(くろがね)といふものの、素鉄(すがね)といふほどなるを取りて、守に取らする者、六十人ぞあんなる。 実房(さねふさ)といふ守の任に、鉄取り、六十人が長なりけるものの、「佐渡国(さどのくに)にこそ、金(こがね)の花咲きたる所ありしか」と人に言ひけるを、 守、伝へ聞きて、その男を、守、呼び取りて、物取らせなどして、すかし問ひければ、「佐渡国(さどのくに)には、まことの金(こがね)の侍るなり。 候ひし所を見置きて侍るなり」と言へば、「さらば、行きて取りて来なんや」と言へば、「遣はさば、まかり候(そうら)はん」と言ふ。「さらば、舟を出(いだ)したてん」と言ふに、「人をば給はり候はじ。 ただ、小舟一つと、食ひ物少しとを給はり候ひて、まかり至りて、もしやと、取りて参らん」と言へば、ただ、これが言ふにまかせて、人にも知らせず、小舟一つと食ふべき物少しとを取らせたりければ、 それを見て、佐渡国へ渡りにけり。一月(ひとつき)ばかりありて、うち忘れたるほどに、この男、ふと来て、守に目を見合はせたりければ、守、心得て、 人づてには取らで、みづから出で合ひたりければ、袖移しに、黒ばみたる裂帛(さいで)に裹(つつみ)たる物を取らせたりければ、守、重げに引き下げて、懐(ふところ)に引き入れて、帰り入りにけり。 その後(のち)、その金採りの男は、いづちともなく失せにけり。萬(よろず)に尋ねけれども、行方も知らず、やみにけり。いかに思ひて失せたりといふことを知らず。 「『金のあり所を、問ひ尋ねやする』と思ひけるにや」とぞ疑ひける。その金(こがね)は千両ばかりありけるとぞ、語り伝へたる。かかれば、佐渡国(さどのくに)には、金(こがね)ありけるよしと、能登国の者ども語りけるとぞ。
能登の国(現在の石川県北部)には、山から採掘したままで精錬してない粗鉄の状態のものを採取して、国守に献上する採鉱者が六十人いるという。 藤原実房(ふじわらのさねふさ)が能登の守(国守)だった当時、その採鉱者の頭の男が、「佐渡に金(こがね)が花咲くように見えている所があった」と人に言ったのを、国司の実房が伝え聞き、 その男を呼び寄せ、物などを与えて、おだてながら聞きだすと、「佐渡には本当に金(こがね)があります。その場所をたしかに確認して来ました」と言うので「それでは佐渡に行って採ってくるか」とたずねると、 「命令で派遣なさるなら、参りましょう」と言う。国守が「では舟を準備しよう」と言うと、「人手は結構でございます。ただ小舟一艘と食物を少しいただいたら、 佐渡へ渡って、うまくいったら金(こがね)を採って来て参ります」と言うので、男の言う通り誰にも知らせず、小舟一艘と食物を少し準備し、男はそれを持って佐渡へ渡って行った。 ひと月ほど経って忘れた頃に、この男がふらっと国守の下を訪ねてきて、国司に目くばせをしたので、国守はその意味を悟り、人を介してではなく自分一人で対面して男に逢うと、 袖移し(袖から相手の袖へ隠れて物を受け渡すときの動作)に黒っぽい布きれで包んだ物をそっと手渡したので、国守は重そうに包を下げ、懐に入れ直して部屋の奥に入っていった。 その後、その男は、どこへともなく姿を消した。手を尽くして探したが行方が分らずじまいだった。 男が姿を消したのは、「佐渡の金(こがね)のありか」を自分に聞かれるのを拒むためではないかと、国司は思った。 その金(こがね)は千両ぐらいはあったと伝えられている。こういうわけで、「佐渡には金(こがね)がある」ということを、能登の人たちは語ったという。
日本紀略の延暦二十一年(802年)正月の条に『佐渡國の塩百二十石を年毎に出羽國雄勝城に送る鎮兵の糧と為す』とあり、夫婦岩周辺にも直径5mもの製塩跡の遺跡が数箇所ほど確認されています。 そんな昔ながらの製法を踏襲し、薪を焚き、炎を読み、風に聞きながら日本海の恵を凝縮させます。
このたび、「佐渡島の金山」の世界文化遺産の国内推薦が決定されたことに伴い 世界遺産登録応援の一助になれますよう、コガネ色にみえる お塩を商品開発しました。 お塩を佐渡の砂金にみたてました。自社販売に限り、今昔物語集や宇治拾遺物語の世界観を表現するため、黒色のサイデ(不織布)で包んであります。 世界遺産登録を目指す佐渡の魅力発信につながれば幸いです。 佐渡を世界遺産に!
Golden Salt
コガネの花塩
商品名は「塩師 コガネの花塩」です。自社販売に限り、今昔物語集や宇治拾遺物語の世界観を表現するため、黒色のサイデ(不織布)で包んであります。中身の商品パッケージは裏表のないリバーシブルデザインとなっております。
佐渡の国にこそ コガネの花塩 拵えたる所はありしか
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